優しさの分配、後悔、憤愛

他人には優しくしようと思いながら生きている。

 

いや、実際本当に優しい人は「優しくしないと!」なんて思わないはずだから、作為に塗れているのは否定しようがない。

そもそも性格が悪いという自覚があるので、ある程度は優しくしないとタダの嫌なヤツになってしまうのでは……?という不安から出る行動だ。

 

とはいえここ最近は優しい行動というよりかはタダの便利屋さんとして扱われてしまっているのでは?というケースにも直面するのだ。

昔から仲が良い友達たち、先輩たち、後輩たちに関しては、ある程度僕のことを理解していてくれるようなのでそういうことはないのだけど、厄介なのがそこまで親しいわけではないけど、なんとなく会話する。という類の人たちになる。

一応友達。くらいのあやふやな人たちに対しても「友達だし優しくしないと!」というなまじ強迫観念じみた思いが出てきてしまい、こちらの心が損なわれてしまうのだから始末が悪い。

 

そんな彼ら、彼女らにとっての正義がそこにあるんだったらまあ構わないという気もするのだけど、別段深く考えてるわけでもなさそうだしね。

刹那的に人間関係を構築していくのは別に構わないし、そういう生き方も悪くはないとは思う。だが、明らかに異なる生き方を選択した人たちと無理して関わっても何もない。

 

やはり、他者の人生に於ける都合の良い通行人になるのはあまり良くない。

完全に他者の為に生きると腹を決めてるなら、まあ後悔もないのかもしれないけど、こちらとしてはそこまで覚悟してるわけでもない。

 

そのような中途半端な存在、詰まるところ「誰にでも優しい人間」こそ何の魅力もない人間ということになりかねない。

悪なら悪、善なら善。と振り切っている方がそりゃあ魅力的に決まってるよね。

 

ただ、まあ何をされても怒る気も別にないし、ひどいことをされた相手だとしてもできれば幸せになってくれればいいとは思う。

むしろ「嫌われてもいい」と思ってる連中の幸福を願うことこそが、この世で最も親密な復讐になり得るのではないか。

 

イッツ ア スウィート・リベンジ!!!!!!!!!!!!!

 

そんなこんなで今年もそろそろ終わりますね。

来年はそれなりに良い一年にしたいです。

 

「笑ってるうちに、泣いていた」というタイトルの小説が書けたらいいなと思っている。

 

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