最近の僕ら(30代シナリオライター、転職を志す)

(このままでは、何もできない人間になってしまう……)

 

2022年になり1か月ほど発ったある日のこと、これまでぼんやりと抱えていた不安が突如として顕在化した。

というのも、これまで25歳くらいまでバンド活動に精を出したものの全く芽が出ず、その後27か8まで某大型雑貨店で一切やる気なく契約社員として働き、なんとなくSEOライターを半年くらいしたけど、世に言うWELQのキュレーションメディア事件が起こり(懐かしいネ!)、なんとなくゲームシナリオライターになって早6~7年。

一応、ゲームシナリオを作る会社に所属してはいたものの(請負で)、専属契約という意味不明な縛りがある会社だったのでそこから発注がなくても他から仕事を取ってくることができないという不条理にさらされ、「おいおーい!束縛しまくるくせに全然遊んでくれない恋人かよ!!」なんてウィットに富んだジョークをインターネットフレンズにばら撒く日々。

 

2019年、30歳からの上京、上京してもずっと練馬に借りたアパートに引きこもって仕事をする日々。でも東京はどんなバンドでもライブするし、有名な劇場もたくさんあるから演劇もいつでも良いのが見れるしで、文化最高!ってかんじ。

そうこうしてるうちに2020年突入!世界は新型コロナウイルスに満たされた……。

そんなこんなで2020~2021年末までは特に何もなかったのであった。

明らかに所属してる件の会社が変な仕事ばかり回してくるようになり、時にはゲーム業界を露骨に悪くしてるみたいな会社からの仕事も受けざるを得なくなった。

それに比例して濁りゆくワタシのソウルジェム

インターネットフレンズたちはミュージシャンだったり、サウンドエンジニアだったり、Webデザイナーだったり、多肉植物屋をイチから立ち上げたりで各々が日々進歩しているのに、現状に甘んじ続ける俺。周りと比較して焦る。

 

話は戻って2022年1月、これまで所属してた組織から離れたい一心でシナリオライター募集してる会社に応募してみる。なんか、変に意識高そうな会社。

正直ダルそうなとこだな~。と思ったけど、履歴書等を送ったら選考に進めと言われる。そのために選考シートを埋めろと言われたので見てみたら意識高い系の質問が140個くらいあってドン引きするも、なんとか埋めて、課題制作とか、SPIとか受けさせられて、なんやかんやで最終面接まで行った。社長が明らかに不必要な横文字を多用するタイプの人間で「絶対合わないな」と確信。

結局「AIマッチングテストの結果、うちと合わなさそうだからダメ」という理由で落ちました。そのAIテスト、最序盤でやればいいのに……。と思ってやる気を失い、そこから2か月くらい毎日美味しんぼを読むか、オウム真理教事件について調べるだけの日々を送る。そしたら今このタイミングでカルト宗教が注目される事件が起こっててびっくりしちゃう。

 

閑話休題

 

そして5月くらい。いよいよ貯金が心もとなくなってきたので転職活動再開。

色々受ける、しかし、決まらねえ。シナリオライターは需要がそんなに無いの!?と焦る。この際、もう実家に戻ろうかという思考もチラつく。

転職支援してくれてる会社の人から「フリーランスとしてなら働き口見つかりやすと思う」と言われたので、紹介を依頼する。そしたら3日くらいで決まりました。

 

そんなわけでワタシは今、デッケー会社の子会社に業務委託として雇われています。

あまりにも会社としての規模がデカすぎるせいか、自由度が死ぬほど高く、「まじで働く環境変えて良かった~~~」としみじみ思っています。

あと、新しく触れる業務とか、いろいろと新鮮。

まあ、フリーランスとして生きるのも正解!みたいな時代ではあるけど、一歩間違えると搾取だけされることも多い中、自分はまじで運だけは死ぬほどいいなと思いました。

あまりにもその仕事に対しての情熱を持ちすぎていると、「その仕事の中でもやりたくないこと」にも真摯に向き合わないといけないし、そうなってくると情熱も消えてしまうと思っているので、「割と興味あるけど、別に大好きでもない。でもやったら結構できる」くらいのラインを突くと一番いいのかも。

そんなわけで、いろいろあったけどワタシは元気です。今年はサマーソニックで1975を見ることを心の支えにしています。この前のピーナッツくんのライブも素晴らしかったです。

 

いいだけ / kabanagu

「○○吹くのやめてもらってもいいですか?」

大学生の時、地元から少しばかり離れた地方都市のCD屋でアルバイトをしていた。

正確には僕は大学を留年してから休学してたので、正しい大学生ではなかったのかもしれないが、まあ、世間的には大学生という括りに喜んで入り、「バンドをするんだ!」と言いながら週に3~4日ほどそのCD屋でバイトをしていた。(バイトは週に80時間までしか入れないという謎ルールがあり、シフトにたくさん入ることはできなかった)

店長は大学生は雇いたくないと言っていたが、自分はもう大学を辞めているから安心だと普通に嘘をついたら雇ってもらえた。復学する時に「自分では辞めたつもりだったけど、親が勝手に休学扱いにしてた」という意味不明な言い訳をすると辞めれた。今考えても無茶苦茶だった。

 

サブスク全盛の今と比べるとまだCDがギリギリ売れてる最後の時代だったようにも思うのだけど、兵庫の田舎のショッピングモールの一日の売り上げなどたかが知れており、ひどい時には2万円とかだったように記憶している。

人件費だけで大損だな、と思いながら僕は日々店のパソコンでインターネットをして、2ちゃんねるの名スレを眺めるという人生でもっとも無駄な時間を浪費していた。

営業中にも関わらず店の中でパソコンを見ながら爆笑してたら、客の女子高生から白い目で見られた。

 

このCD屋は店長がホモだとバイトたちの間で噂されたり、古株のパートの主婦が退勤時間前に勝手に帰ったりと無法地帯の様相を呈しており、周囲のテナントからも常に不審な目で見られていた。

未だになんであんな店がずっと営業できていたのかはさっぱり分からないが、嵐の発売日だけは売り上げが60万円とかあった。どうやら、謎のコネクションで嵐の入荷枚数だけ凄まじいことになっており、都心部では入手できない限定版がうちの店では普通に買えたらしい。

嵐が活動休止をすることになったことを考えると、来年あたり潰れる気がする。

 

数か月に一度の嵐ラッシュ以外は基本的に店でボーっとしていたのだが、従業員のみならず、お客さんも変な人が多かった。

狭い店内(みなさんが想像するよりもさらに狭い、15畳もなかったと思う)に突然入ってきてイチャイチャして帰る不細工なカップルは『電池男と青春女』と呼ばれていた。確か男の方が稀に電池を買って帰るからだ。

他にも店外の視聴器で演歌を聴きながら大声で歌うおじさんは『エンカーソン』みたいなあだ名をつけられてた。ほんとにすごい声量だった。

 

そんなある日、店先にどう考えても普通ではない雰囲気の男が佇んでいた。

普段から普通ではない人間ばかり現れるので、その辺りの感覚はマヒしていたのだが、50代くらいの男性、髪は腰まで、冬なのにレギンスと異常さが際立っていた。

その頃、一応新人バイトだった僕は一緒のシフトだった歴が長い大学生に「なんか変な人がいるよ」と言うと、彼はめんどくさそうに「あー、冬の終わりになると現れる人だよ」と言った。なんだそれ、春の到来を告げる使者かよ。と思いながらも、僕は「あの人も変なあだ名があるの?」と尋ねた。

これほどまでの個性の持ち主をこの店の人間が放っておくわけはない、いったいどんなあだ名をつけてるんだ。とはやる気持ちを抑えながら大学生の解答を待った。

 

「……別にないな」

と大学生は言った。なんでだよ、どう考えてもあだ名つけておくべきだろ。

そんな僕に構うこともなく、大学生はダルそうにスマホを取り出しパズドラを始めた。

彼にとって奇人の存在など日常茶飯事で、いちいち騒ぐことでもなかったらしい。

仕方なく僕もパソコンでのインターネットに戻ろうとした時、店の前の奇人がごそごそしだした。

刃物でも出してきたらどうしようと思いながら、奇人が取り出したのは銀色に輝く……

 

 

フルートだった。

 

なぜ?なぜここでフルート?とひとり混乱していると、男は当然のようにフルートを吹き始めた。

すごく下手だった。そこはせめて上手くあれよと舌打ちしそうになった。

しかも下手のくせにまあまあ音量は大きかった。肺活量だけ鍛えすぎたのだろうか、目の前のテナントの保険屋の美人なお姉さんが僕のことを睨んでいる。店にいた客は怯えている。

睨む美人、フルートを吹く奇人、我関せずパズドラに夢中な大学生、怯える客、僕。という最悪なカードが揃ってしまった。悪空間ポーカーなら間違いなくロイヤルストレートフラッシュだろう。

 

正直、いますぐ帰りたい気持ちは止めることができなかったが、どうにかしてフルートを吹くのをやめさせなければいけない気もした。そうすることで、保険屋の美人なお姉さんとお近づきになれるかもしれないという期待もあった。(結局そんなことはなかった)

だが、今までの人生で人がフルートを吹くことを止めた経験が僕にはなく、何を言えばいいのかさっぱりわからなかった。

なんとか大学生に行ってもらおうとすると「この前、お前が店を休んだ時に俺が代わりに出ただろ」と断られた。簡単に人間に借りを作ってはいけないと実感した。

こうなったら腹を決めるしかなかったので、フルートを吹く奇人に近づきこう言った。

 

「すいません、フルート吹くのやめてもらってもいいですか?」

 

試行錯誤した割にはストレートなことを言ってしまっていた。言いながら、このセリフ、人生で使うことはもうないだろうなとぼんやり思った。

奇人は何も言わず、あっさりと帰っていた。次の日は突然気温が上り、やはりあれは春の到来を告げる使者だったのかと思ったのだが、その日の帰りに駐輪場で奇人がエロ本みたいなものを拾ってるところを見た。わけもなくムカついた。

 

あれから10年ほどたったけれども、あの奇人は相変わらず冬の終わりにはフルートをどこかで吹いているのだろうかと、不意に思い出すのだ。

 

 

20201019 雑記

深夜は親愛なるロックスターの誕生日ということで、彼も所属しているオタクグループラインにてカオスなノリが始まる。

その後、就寝。毛布を掛けて寝ると非常に寝苦しく、寝付くのに異常に時間が掛かり、起床すると12時。

締め切りを抱えている案件がふたつあったので非常に焦る。

 

とりあえずツイッターなぞ見ていると信じられない訃報が飛び込んできて「はあ!?」と大声を出す。

正直、まったく仕事など手につかない精神状態ではあったけれども、自営業者なのでそういうわけにもいかない。

なんとかかんとか、16時くらいに仕事を終える。

 

どうして死んでしまったのか、という疑問は当然湧き上がるのだが、そんなものは今さら知ったところでどうにもならない。

僕たちは自死を選択した人について考えると「きっと何か悩みがあったのだろう」と推察するしかないのだが、もしかすると彼女が選んだのは幸福な死であったのかもしれないし、そこに関しては何も言うことができない。

個人の選択した事柄については、他者が口を差し込むべきではないのだ。

 

とは言いつつも、とにかく悲しい。

エゴイズム振りかざして語るのならば、何がどうあったとしても生きていて欲しかった。

また楽しそうにギターを弾く姿を見たかったし、ラジオでの穏やかな語り口も、もっともっと聴いていたかった。願わくば直接お会いしてみたかった。

 

残された人たちは、ただ記憶が風化していくに身をまかせつつも生きていくしかない。

自分が死んだとしたら誰が悲しんでくれんのかなー。とかも考えたりする。

インスタの親しい友達に追加してるのは好きな人たちばっかだし何かしら悼んでくれっかなー。でも、十年後だとどうだかわかんないな。

 

生きるている以上様々な別れと直面することではあるのだけど、唐突なものだとやはり動揺は押し隠せない。

 

ひとつはっきりしていることは、これからも彼女が作り上げた曲たちは残り続けるし、聞き続けられていくだろうということ。

 

もっともっと活躍する姿を見たかった気持ちしかないけど、できることは「忘れないこと」くらいだ。

 

謹んで津野米咲さんのご冥福をお祈りします。

これまであなたの曲に衝撃を受けたり、救われたりしてきました。

本当に、本当にありがとうございました。

 

nowplaying

交信 / 赤い公園

「信じる」と「許容」

とても過ごしやすい秋の気候になったかと思えば、あっという間に寒さが襲い掛かってきた今日この頃。みなさまいかがお過ごしでしょうか。

こちらは部屋の上階の住人が引越し、部屋の改装が行われてるようで、昼頃から「ギュオオオオオン!!!」というドリルの音が鳴り響くことで苛立ちを募らせています。

この時間なら下の階の人はいないっしょ~。という想像のもとに行われているのかもしれないが、こちとら万年引きこもりなのだよ。ちくしょう。

 

あとはずっと小説を読んでますね。朝井リョウさんの「スター」、町田そのこさんの「52ヘルツのクジラたち」、凪良ゆうさんの「滅びの前のシャングリラ」どれも数年に一回出るかというほどの激ヤバ小説で、今年の豊作具合にびっくりしてます。

 

更にPSVRを購入し専用ゲームをやってたりするのですが、これはもうまじで未来。全くの新体験過ぎていちいち「す……すげえ」とかぶつぶつ言いながら楽しんでいます。

 

閑話休題

 

さて、最近はよく「信じる」ということについて考えているのですが、結論として言えば人間は自分の信じたいことしか信じないと思ってます。

例えば、恋人のことを信じたいけど信じられない……。という悩みは遥か昔の平安時代から言われていることなんですが(人間の心って変わらないね!)、それを言っている時点で既に心は「信じない」という方向に舵を取ろうとしているんですよね。

ただ、「ここで彼/彼女を信じないということは、今までの自分を否定することなのでは?」という葛藤が介在してきます。

そうなると「自分を信じるために他者を信じよう」というねじれが発生してしまい、何が正しいのか正しくないのか分からなくなってしまい、「人を信じられないなんて、人間として間違ってるよね!」という名もなき人間たちが作り上げたイメージに流されてしまうわけです。

 

また、「信じる」という行為には「裏切られた時の心のダメージを受け止める覚悟」というものが求められます。

傷つくリスクがあるからには、この人のことを信じ「なければいけない」という強迫観念に捉われている人たちのこともよく目にします。

何度も裏切られても尚、同じ対象を心のよりどころにすることもよくありますが、それはただの執着や依存の成れの果てであり、もはや「信じる」ことからはかけ離れてしまっていると言えるでしょう。

 

そもそも人間が完全に分かり合うということは、不可能なのですが、それでも尚、他者を信じたいと言うならば、部分部分で信じるしかないのだと思います。

「こういうところは信じられないけど、ここは信じられるから、合計すると信じられるかな……」という具合に。

「全部、どんなことも信じる!」という手放しの信頼というものは、基本的に幼い子供が親に対して抱くものしかあり得ません。

人は成長するに従い様々なことを学び、傷つきながらも学習するので、どんなことなら許容できるのか。という判定基準を心の中に持っておくべきでしょう。

 

つまるところ、「信じる」とは「許容」ということなのだと思います。

僕個人の話で言えば裏切られたとしても「きっと何か理由があったのだろう」と自分自身が納得できるような人でなければ決して信頼しないようにはしています。

仮に裏切られたとしてもそのことに対して「なんであんなやつを信じてしまったんだ……!」と後悔することもありません。ただ「そういうことだ」と思うだけです。

 

最近、芦田愛菜さんが「裏切られたというけれど、その人が裏切ったというわけではなく、その人の見えなかった部分が見えただけ。見えなかった部分が見えたとき『それもその人なんだ』と受け止める、が信じる事と思いました」

ということも言っていましたし、考え方として本当に素晴らしいものだと思います。

 

誰を信じ、誰を信じないかは完全に個人の自由ですが、それに伴って発生する責任については、決して他人のせいにせず、自分の中で解決したいものですね。

また、自分が信じるものを、誰かに決めさせてしまうのも絶対に良くないですよ。

(まー、僕がそうできているかって言うと割と微妙なんだけど、それはまあいいじゃん。あと、文章中では言い切ってるけど、別に僕は自分の意見が正しいとは思ってないよ。世の中にはいろんな考え方があるので)

 

という今日のお話でした。

次回のテーマは「フェア」と「一貫」でーす。

 

nowplaying

銀河鉄道の夜 / 不可思議/wonderboy

斉橋奈々未の日常 vol.1 しあわせな言葉と、その矛盾

8:13

 

フリック入力のしすぎで、親指の指紋なんて擦り減ってなくなっちゃいそうだな。

 

そんなことを考えながらも今日も斉橋奈々未は、TwitterInstagramTikTokといったSNSのチェックをしていく。

今日も誰もが好き勝手なことを呟いたり、キラキラした日常を見せびらかしたり、自分が世界の中心みたいな顔しながら楽し気に踊ったり。

でも、自分だって他の人からしたら同じようなものなんだろうな。

この狭い部屋の中でも(もっとも大学まで徒歩数分なのだから、狭さくらいには目をつむっているのだけど)最大限に生活を楽しんでいるとアピールしないことには、なんとなく周りからも良い風には思われない。

別に、誰に何を思われたとしても気にしなければいいだけなのかもしれないけど、残念ながら今の奈々未にはそれはとても難しいことだった。

自分自身を満足させるために前髪を作ったり、メイクをしていたりするというのに、人によっては『そんな男受け悪い見た目、よくするよね』なんて言ってくる。

女は全員、男の子に良く思われたくて、おしゃれしてるって決めつける人なんて絶対モテないのに、そんなどうしようもない人たちの意見が怖くて、結局無難なメイクや格好に落ち着いてしまう。

「まあ、本当に好きな格好が何かっていうと、あたしにも分からないんだけどね」

そう奈々未は呟き、そろそろ学校に向かおうと支度をしていた時、化粧台の上のスマートフォンが震え、メッセージの着信を知らせる。そこには懐かしい名前が表示された。

(……静香? って、高校を卒業して以来だよね。どうしたんだろ)

静香とは、気心が知れた友人というほどではないにしても、何回かグループで一緒に遊びにいったこともある。けれども深入りしたことはない。という難しい距離間だった。

別に、何か仲良くなりたくないという理由(なんとなく喋り方が嫌だとか、性格が合わないとか)があるわけではなく、ただ、本質的に仲良くなる機会を逃し続けてきただけだ。

同窓会の報せにしてはまだ早い気がする、何しろまだ大学に入って3か月程度だ。

とはいえ、生活が落ち着いてきた実感は出てきているし、状況報告をみんなでするというのも、有りなのかもしれない。

いろいろなことを考えながら、奈々未は肝心の静香からのメッセージをまだ確認していないことに気づき、メッセージを開く。

『久しぶり、大学には慣れた? 私はそれなりかな。サークルにも入って元気にやってるよ。奈々未の話も聞きたいな。近々、ふたりで会えない?』

当たり障りのない、現状報告。けれども、奈々未は少し違和感を覚えた。

まず、これまで静香とは二人きりで親密に話をした経験は一切ない。にも関わらず、会いたいって言ってくるなんて、ちょっと変だ。

仲の良い子なら、他にも、もっといるはずなのに。

とはいえ、断るのもそれはそれで角が立ちそうだ。高校時代に奈々未と静香が所属していたグループはそれなりに人数も多く、奈々未と同じ大学に進学した子も結構いる。

静香が「奈々未と会いたかったのに断られた」と吹聴しないとは限らない。(残念ながら、そうしないであろうという確信は抱けない)

環境が変わっても、若干面倒な人間関係にそこまで変化はないというのは、少しばかり酷なものだった。

まあ、とはいえ、本当に話をしたがっているだけかもしれない。そういえば、静香の進んだ大学は少し専門職が強いところで、同じ学校の人も数えるくらいしかいなかった。

グループの子たちは「知り合いが全然いないとこなんて無理すぎ」と言ってたけど、奈々未は、そうまでしても学びたいことがあって、なりたい職業があるのってちょっといいな。なんて思っていたのだ。

とりあえず奈々未も静香も都内暮らしではあるので、会う場所には困らない。

手早く『久しぶり、サークルいいね。あたしも入りたかったけど、いつの間にか新歓の期間も終わっちゃった。いつでも会えるから、また都合の良い日を教えて』と返信して、いよいよ大学に向かうことにした。

今日は1限~4限までしっかりと授業が詰まっているし、終わるころにはクタクタになってそうだ。

 

13:05

 

1限と2限の授業をしっかり受講し、奈々未は学生食堂に足を踏み入れた。

踏み入れた。なんて言うとなんとなくドラマティックな響きが発生するが、実際は普通にテクテクと歩いて、やってきただけだ。

450円の和定食の食券を購入し、(日替わりメニューで、今日はカツ丼とミニうどんのセットだった)知り合いでもいないかと食堂中を眺める。

誰もいなければひとりで音楽でも聴きながら、食べるだけだ。

ちょうど、高校の時に同じグループだった明日香がひとりでいるのを見つけたので、相席することにした。

明日香は、正直、すっごく可愛い。

黒髪ロングのストレートは腰まであるのに全然傷んでなくて、サラサラだし、顔立ちだって芸能人の誰かに似てるってみんな言ってた。誰だったかは忘れちゃったけど。

そして何よりも奈々未が明日香のことを良いと思うのは、自分の意見をしっかり持っていることだ。

グループのみんながノリでやっちゃうような悪ふざけにも、はっきりと自分はやらないって口に出すし、みんなが変だって悪口を言うような人のことも、違う視点から見てしっかり褒めたりする。(本当にロクでもない人のことはさすがに褒めないけど)

でも、それができるのもみんなから「この子は見た目も良いし、性格もハッキリしてる、嫌われたら損だ」って思われてるからかもしれない。

とにかく、周りが過剰に恐れてるかんじはあるかも。

そんなことを考えながら明日香の前の席に腰を下ろしながら、今日の朝のことを話してみる。

「そういえば、静香から久しぶりに連絡があったよ」

「へえ、あの子と奈々未って意外と仲良かったんだ?」

「いや、そうでもないと思うんだけど、なんかふたりきりで近況報告がしたいんだってさ」

それを聞いた明日香はちょっと難しそうな顔をして、宙を睨みだした。

「ど、どうしたの?」

「ああ…いや、私的に静香はそんな風に気軽に人を誘ったりするタイプじゃなかったように思えてさ。なんか違和感あるよ」

「あたしもそれは思った。でも、大学に入ってちょっと変わったとかじゃない?」

「それはありそうね。割と影響されやすい子だし」

「そうだっけ?」

奈々未の考える静香像はそこまで人の色に染まりやすいことはなく、ただ、みんなの中にぼんやりと存在しているだけだった。それが良いとか悪いとかはさておき、正直、いてもいなくても同じというか。

意外そうな顔の奈々未を見て、明日香は言葉を選ぶように発していく。

「影響されやすいっていうのとは、ちょっと違うかも。でも、人の話に無理して合わせるところはあったよ」

「知らないことでも、知ったかぶりをするってこと?」

「うーん、まあ、そんなかんじかな。でも、後からちゃんと調べてひと通りの知識はゲットするんだよ。」

「それなら、後からバレることもないね」

「ま、そうなんだけど。その場しのぎにならないように、めちゃくちゃ深く調べていくんだよね。気づけば周りの誰もがその話題を忘れてるのに、異常に詳しくなってたりもして」

「それは…なんかすごいかも」

大人しめの子だという静香の印象がどんどん変わってきつつあることに、奈々未は少し驚いていた。同時に、同じグループでいつも行動していたのに、そんなことにも気づけなかった自分は、あまり他人に興味を持たないタイプなのかしら?とも思った。

「それで…えーと、ごめん。なんの話だったっけ」

「静香からふたりで会いたいって言われたことだよ」

「ああ、そうだったね。まあ、十年ぶりの連絡ってわけでもないんだし、気負わずに会えばいいんじゃない?」

「うん、そうするつもり。まあ、違和感があるって言い出したのは明日香の方だけどね」

しかし、この言葉は正確ではない。違和感自体は連絡を受けた直後から、奈々未も強く覚えていたのだから。

ひとまず、3限の授業時間も近づいているということで、奈々未と明日香は残っていた定食を平らげて、それぞれの講義室に向かうことにした。

講義室に向かう途中、静香からメッセージがあったが、奈々未は後で返信しようと思いスマートフォンをカバンにしまい込んだ。

 

16:30

 

今日も何事もなく、すべての授業が終わったことに奈々未は安堵した。

これから帰って、夕飯を作って、好きなテレビを見て、音楽を聴いて、ちょっとした家事をしたり、SNSを見たりして一日が終わる。

毎日同じことの繰り返しだと、どうしても単調な生活になってしまって、一日が過ぎるのが驚くほど速いけれども、社会に出るとそれすらも懐かしくなるんだろうな、なんてぼんやりと思ったりもする。

そこで、静香からのメッセージに返信していないことに気づいた。

急いで返信しないといけない類のものではないと思うけど、内容は確認しておかないといけないと思い、奈々未はLINEを開き、メッセージをチェックする。

『会うなら早い方がいいな。さっそくだけど、今晩はどう?』

いきなり今日の夜? さすがに急じゃないかな。と奈々未は率直にそう思ったのだが、今日の夜が空いているのも事実だった。

アルバイトも特にしていない奈々未にとって、授業が終わるのと同時に自由時間の始まりであり、そのことは仲の良い人たちなら誰が知っていた。

静香がそのことを知っているかは定かではなかったが、架空の用件をでっちあげて、それがバレた時の面倒くささを考えると、行くべきだろう。

(そもそも、警戒するようなことはないはずだしね)

奈々未は軽くそう考え、今日の夜でも良いと返信をしておいた。

すると、すぐさま『じゃあ、今日の18時に池袋の西武東口で待ち合わせしよ』と返信があり、奈々未は了解を意味するスタンプを送信した。

 

18:59

 

久々に会った静香は、驚くほど変わっていた。

いや、見た目がという意味ではなく、中身が。

どちらかといえば内向的な性格だったが、今は国際問題について考えるサークルに入っていると雄弁に語り、世の中の色々な問題を解決してみたいと熱っぽく語った。

ひとまず、駅で待ち合わせてから、ファミリーレストランに入り、メニューを開きながら「どれも美味しそう」なんて互いに迷っているうちは良かった、そこには『久しぶりだけど、お互い元気で良かった』という親密な空気さえ、確かに存在していた。

そのまま食事をしながら、現在の暮らしぶりについての話(ひとり暮らしは気楽だけど、面倒だ。など。ふたりとも神奈川の実家を離れ、東京で暮らしているので、ある種のシンパシーを抱けた)をしていたのだが、食後のコーヒーを飲んでいると、おもむろに静香が、意を決したように話し出したのだ。

「奈々未ちゃんは、人種差別についてどう思う?」

どうもこうも言われても、奈々未はこれまで19年生きてきて、人種差別について深く考えたことなど、まるでない。

だが、静香の目は怖いくらいに真剣で、うかつなことは言えない雰囲気だったので、仕方なく知識を絞り出すことにした。

「あー、なんか最近Twitterで差別問題について言ってる人が多いけど、そういうこと?」

「そう、それ!差別って本当に恥ずかしいことだよね。人はみんな平等なのに、変にマウント取ったり、ひどい時は命を一方的に奪ったり」

そういえば最近、どこかの国で差別された挙句、殺されたという人の話題をよく見る。しかし、殺された方も何かしらの罪を犯していたという情報もあるようだし、奈々未は様々な情報が混在していることが、まず怖かった。

さらに言えば、何が正しいのかも分からない状況の中で、自分の信じるものだけを正しいと信じ、意見をする人たちのことも怖かったし、その人たちは押しなべて反対意見に対して容赦なく攻撃性を剥きだしにするのも怖かった。

だが、そんな奈々未の戸惑いに気づかないまま、静香は言葉を重ねていく。

「……それでね、今度私のサークルで人種差別反対のデモをやるんだけど、奈々未ちゃんにも参加して欲しいなって思うんだ」

「え……あたしが?」

「うん、奈々未ちゃんなら、きっと分かってくれると思うし」

あたしに、なにが理解できると言うのだろう?奈々未は心の底から不思議に思った。

遠い国で差別の結果として、人が亡くなったのは悲しいことだと思うけど、それはあくまでも他の国の話じゃないか。

これまで奈々未は生きていて「ああ、日本と言う国は人種差別が激しい国だなあ」なんていうことは、一度だって思ったことがないし、自分がそうなら、他の大勢の人もそうだろう。

そんな人たちに向けて、デモを行って、なんの意味があるんだろう?

「えっと……あたしはいいかな。人種差別とかに詳しいわけでもないし」

「何言ってるの、詳しくないからこそ、参加することに意義があるんじゃない」

静香は、聞き分けの悪い幼子を言い含めるように、優しい声色でそう語りかけてきて、それがなんとなく、奈々未は嫌だった。

「人種差別が悪いことなのは、奈々未ちゃんにもわかるよね? 問題なのは、日本では人種差別なんて大きな問題になってないし、外国で起こったことに対して、日本でデモなんかしてどうするんだって思ってるような人たちなの」

まさにあたしのことだし、尚更、自分が参加すべきデモじゃないと奈々未は確信した。

「そう思ってる人がいても仕方ないと、あたしは思うんだけど、その人たちの何が問題なの」

「そういう人たちほど、無意識に人種差別をしているんだから、意識を変えてもらわないといけないのよ」

「そういうデモで、本当に変わるかな?」

おそらく、無意味だろう。そもそも、本当に人種差別主義者からすれば、デモくらいで心動かされるなら最初から人種差別なんてしないだろうし、無関心な人たちにとっては、ただ目障りなだけの行進に映るはずだ。

「変わってくれるまで、何回だってやり続けることが大事なんだって。私もサークルの先輩にそう教わってきたもの」

なるほど、静香は今、こういう活動にのめりこんでいるのか。と、奈々未は思い当たった。

今日の昼に明日香が「静香は異常なくらいのめりこむ」という話をしていたし、そこは腑に落ちた。問題は、静香が自分の正義を少しも疑っていないところだ。

そういえば以前授業で『間違いを正してあげるという行為は脳内からドーパミンが出て、快楽が得られる』なんて聞いたけど、今の静香はまさにそれだ。

間違いをしているものが悪であり、それを正そうとしている自分は絶対的に正義なのだろう。

奈々未はもうこれ以上深く関りたくはなかったが、次々と言葉を紡ぐ静香の顔は生き生きとしており、ある意味ではとても幸せそうに見えた。

他者の不幸を救うことに、幸せを感じるなんて、どこまでも歪なようにしか思えなかった。

ひとまず、この日は明日提出の課題があると言ってなんとか話を終わらせて、ようやく帰宅できたのは22時過ぎだった。

 

手早く入浴を済ませ、ベッドに潜り込んだ奈々未は今日の静香の言葉と、生き生きとした表情を思い出す。

そして、人の不幸に生きがいを見いだすのは勝手だけど、できればあたしのことは巻き込まないで欲しいなあ。と思いながら、眠りにつくのであった。

 

自分の味には飽きてきた

そんなこんなで絶賛引きこもり生活中なわけで、そもそもずっと家にいる生活をしていたので、別に自分には影響ないわ~。なんて高を括っておったのだが、これが大間違い。

まあ、友達たちとは通話でTRPGしたり、ラインやその他SNSで言葉を交わしているので、そこまで孤独感は深まっていないのだけど、問題はやはり食だ。

 

自炊するのは全然嫌いじゃないんですが(別に好きでもないが)、和洋中何を作ったとしても、自分の味というのは確実に出てくるわけで。

これは朝井リョウ高橋みなみのヨブンのことでも言っててハッとしたんですが、

そりゃ自分しか食わないんだから、自分好みの味にはどう頑張ってもなるのだが、一口食べた瞬間に「あー、はいはい。俺の味!」ってなるんすよね。

 

ひとり暮らし開始時から、週に一回は外食してもいいルールでやってきてたのだけど、これはおそらく自分の味に飽きるのを阻止するためだったのだろう。

 

というわけで、外食にめちゃくちゃ飢えている。焼肉食いに行きたすぎる。

とはいえ、アホみたいにふらふら出歩くわけにもいかんし、今は耐えるべき。

出前館かウーバーイーツでも今日は使ってしまおう……。

 

閑話休題

 

自分が外に出かける用事ってライブか友達と遊ぶ時オンリーだったので、こうなってくると本格的に引きこもりだ。

五月は楽しみなライブが二本あったのだけど、それも飛んだし、やるせねえ。

延期公演が無事に開催されるといいのだけれどね。

 

DA DANCE / BiSH

 

首都封鎖という言葉はカッコいい

大変なことになった。

 

いや、実際まだまだ諸外国と比べると大変なことになる前なのだけど、このままだとどう考えても同じようになるのは目に見えてる。

土日の外出自粛を受けて大多数の人間は家にいるのだけど、正常性バイアスがゴリゴリに作用している人たちは、何事もなかったかのように外に出る。

むしろ、人が少ない今がチャンス!とばかりに出かけていって、感染を広げていく。

絶対にそういう人たちはいなくならないし、二週間後はたぶんドイツやイタリアみたいに外出禁止令が出るんだろうなあ。と思っている。

そもそも自粛要請って言葉が意味不明すぎる。自粛って自分の意志で完結するものだろ。

 

その前に兵庫帰ってこいとも姉からは言われるのだけれども、自分が健康保菌者の可能性を考えると、幼子がいる実家には帰れないし、もうこうなったら家で大人しく仕事をして、本を読み、映画を見たりするしかない。

しかし、これまでは別にひとりで過ごすことに不便を感じなかったのだけど、こうして会いたい人には会えず、触れたい音楽に直で触れられない状況がこんなに辛いものだとは。

何よりも終わりが見えないことが辛い。

きっと世界の終りもこんな風に味気ないかんじなんだろうなあ。

 

閑話休題

 

さて、ここ最近は一週間の行動記録を記せないほどに家から出ていない。

最後に人と会ったの3月16日。今は遠い昔の話のようだ……。

今週はWACKという音楽事務所(BiSHが所属しているところ)が開催しているオーディション合宿6泊7日完全生中継を食い入るように見ていた。

簡単に言うとアイドルになりたいという想いを抱えた女子たちが、ダンス、歌の課題をこなしていくのだけど。それだけでは語りつくせないドラマが発生する。

一日の終わりには数名の脱落者が発表され、また涙、涙の日々。

こういう風に人が変わっていくところをリアルタイムで目撃できるというのは、とても貴重なことだし、候補生の女の子たちはだいたい10代後半~20代前半なことを考えると、すごすぎてビビる。

とはいえ、このオーディションは見ていない人からすると別に面白い話題ではないので、この話はここら辺で終了。

(まあ、そもそもこのブログも15人にしか見られてないけど)

 

あとは本を読んでいますね。

この前、竹宮ゆゆこさんの[いいからしばらく黙ってろ]を読んでからハマっているので[砕け散るところを見せてあげる]を読んだのだが、これはマジですさまじかった。

映画化もするらしいけど、どうやって表現するんじゃろかと思った。

ずっと大好きな辻村深月さんの未読分[家族シアター][東京會舘とわたし][クローバーナイト]も読んだ。

どれも素晴らしく、特にクローバーナイトは家族ならではのトラブルに胸が苦しくなった。

あなたのためを思って意見している私は、絶対的に正しく、間違っているはずがない。という意見も愛ゆえのものかもしれないけど、それにより傷つく人がいる。

 

まあ、そんなこんなで先行き一切見えない情勢ではありますが、乗り越えた先には明るい何かが待っていると思って生き延びていきましょう。

手洗いは30秒間、うがいはガラガラとすすぎを各三回ずつしましょう。

 

ラズロ、笑って / the cabs

「記憶を思いやることは許されない」と言う