「○○吹くのやめてもらってもいいですか?」

大学生の時、地元から少しばかり離れた地方都市のCD屋でアルバイトをしていた。

正確には僕は大学を留年してから休学してたので、正しい大学生ではなかったのかもしれないが、まあ、世間的には大学生という括りに喜んで入り、「バンドをするんだ!」と言いながら週に3~4日ほどそのCD屋でバイトをしていた。(バイトは週に80時間までしか入れないという謎ルールがあり、シフトにたくさん入ることはできなかった)

店長は大学生は雇いたくないと言っていたが、自分はもう大学を辞めているから安心だと普通に嘘をついたら雇ってもらえた。復学する時に「自分では辞めたつもりだったけど、親が勝手に休学扱いにしてた」という意味不明な言い訳をすると辞めれた。今考えても無茶苦茶だった。

 

サブスク全盛の今と比べるとまだCDがギリギリ売れてる最後の時代だったようにも思うのだけど、兵庫の田舎のショッピングモールの一日の売り上げなどたかが知れており、ひどい時には2万円とかだったように記憶している。

人件費だけで大損だな、と思いながら僕は日々店のパソコンでインターネットをして、2ちゃんねるの名スレを眺めるという人生でもっとも無駄な時間を浪費していた。

営業中にも関わらず店の中でパソコンを見ながら爆笑してたら、客の女子高生から白い目で見られた。

 

このCD屋は店長がホモだとバイトたちの間で噂されたり、古株のパートの主婦が退勤時間前に勝手に帰ったりと無法地帯の様相を呈しており、周囲のテナントからも常に不審な目で見られていた。

未だになんであんな店がずっと営業できていたのかはさっぱり分からないが、嵐の発売日だけは売り上げが60万円とかあった。どうやら、謎のコネクションで嵐の入荷枚数だけ凄まじいことになっており、都心部では入手できない限定版がうちの店では普通に買えたらしい。

嵐が活動休止をすることになったことを考えると、来年あたり潰れる気がする。

 

数か月に一度の嵐ラッシュ以外は基本的に店でボーっとしていたのだが、従業員のみならず、お客さんも変な人が多かった。

狭い店内(みなさんが想像するよりもさらに狭い、15畳もなかったと思う)に突然入ってきてイチャイチャして帰る不細工なカップルは『電池男と青春女』と呼ばれていた。確か男の方が稀に電池を買って帰るからだ。

他にも店外の視聴器で演歌を聴きながら大声で歌うおじさんは『エンカーソン』みたいなあだ名をつけられてた。ほんとにすごい声量だった。

 

そんなある日、店先にどう考えても普通ではない雰囲気の男が佇んでいた。

普段から普通ではない人間ばかり現れるので、その辺りの感覚はマヒしていたのだが、50代くらいの男性、髪は腰まで、冬なのにレギンスと異常さが際立っていた。

その頃、一応新人バイトだった僕は一緒のシフトだった歴が長い大学生に「なんか変な人がいるよ」と言うと、彼はめんどくさそうに「あー、冬の終わりになると現れる人だよ」と言った。なんだそれ、春の到来を告げる使者かよ。と思いながらも、僕は「あの人も変なあだ名があるの?」と尋ねた。

これほどまでの個性の持ち主をこの店の人間が放っておくわけはない、いったいどんなあだ名をつけてるんだ。とはやる気持ちを抑えながら大学生の解答を待った。

 

「……別にないな」

と大学生は言った。なんでだよ、どう考えてもあだ名つけておくべきだろ。

そんな僕に構うこともなく、大学生はダルそうにスマホを取り出しパズドラを始めた。

彼にとって奇人の存在など日常茶飯事で、いちいち騒ぐことでもなかったらしい。

仕方なく僕もパソコンでのインターネットに戻ろうとした時、店の前の奇人がごそごそしだした。

刃物でも出してきたらどうしようと思いながら、奇人が取り出したのは銀色に輝く……

 

 

フルートだった。

 

なぜ?なぜここでフルート?とひとり混乱していると、男は当然のようにフルートを吹き始めた。

すごく下手だった。そこはせめて上手くあれよと舌打ちしそうになった。

しかも下手のくせにまあまあ音量は大きかった。肺活量だけ鍛えすぎたのだろうか、目の前のテナントの保険屋の美人なお姉さんが僕のことを睨んでいる。店にいた客は怯えている。

睨む美人、フルートを吹く奇人、我関せずパズドラに夢中な大学生、怯える客、僕。という最悪なカードが揃ってしまった。悪空間ポーカーなら間違いなくロイヤルストレートフラッシュだろう。

 

正直、いますぐ帰りたい気持ちは止めることができなかったが、どうにかしてフルートを吹くのをやめさせなければいけない気もした。そうすることで、保険屋の美人なお姉さんとお近づきになれるかもしれないという期待もあった。(結局そんなことはなかった)

だが、今までの人生で人がフルートを吹くことを止めた経験が僕にはなく、何を言えばいいのかさっぱりわからなかった。

なんとか大学生に行ってもらおうとすると「この前、お前が店を休んだ時に俺が代わりに出ただろ」と断られた。簡単に人間に借りを作ってはいけないと実感した。

こうなったら腹を決めるしかなかったので、フルートを吹く奇人に近づきこう言った。

 

「すいません、フルート吹くのやめてもらってもいいですか?」

 

試行錯誤した割にはストレートなことを言ってしまっていた。言いながら、このセリフ、人生で使うことはもうないだろうなとぼんやり思った。

奇人は何も言わず、あっさりと帰っていた。次の日は突然気温が上り、やはりあれは春の到来を告げる使者だったのかと思ったのだが、その日の帰りに駐輪場で奇人がエロ本みたいなものを拾ってるところを見た。わけもなくムカついた。

 

あれから10年ほどたったけれども、あの奇人は相変わらず冬の終わりにはフルートをどこかで吹いているのだろうかと、不意に思い出すのだ。