斉橋奈々未の日常 vol.1 しあわせな言葉と、その矛盾

8:13

 

フリック入力のしすぎで、親指の指紋なんて擦り減ってなくなっちゃいそうだな。

 

そんなことを考えながらも今日も斉橋奈々未は、TwitterInstagramTikTokといったSNSのチェックをしていく。

今日も誰もが好き勝手なことを呟いたり、キラキラした日常を見せびらかしたり、自分が世界の中心みたいな顔しながら楽し気に踊ったり。

でも、自分だって他の人からしたら同じようなものなんだろうな。

この狭い部屋の中でも(もっとも大学まで徒歩数分なのだから、狭さくらいには目をつむっているのだけど)最大限に生活を楽しんでいるとアピールしないことには、なんとなく周りからも良い風には思われない。

別に、誰に何を思われたとしても気にしなければいいだけなのかもしれないけど、残念ながら今の奈々未にはそれはとても難しいことだった。

自分自身を満足させるために前髪を作ったり、メイクをしていたりするというのに、人によっては『そんな男受け悪い見た目、よくするよね』なんて言ってくる。

女は全員、男の子に良く思われたくて、おしゃれしてるって決めつける人なんて絶対モテないのに、そんなどうしようもない人たちの意見が怖くて、結局無難なメイクや格好に落ち着いてしまう。

「まあ、本当に好きな格好が何かっていうと、あたしにも分からないんだけどね」

そう奈々未は呟き、そろそろ学校に向かおうと支度をしていた時、化粧台の上のスマートフォンが震え、メッセージの着信を知らせる。そこには懐かしい名前が表示された。

(……静香? って、高校を卒業して以来だよね。どうしたんだろ)

静香とは、気心が知れた友人というほどではないにしても、何回かグループで一緒に遊びにいったこともある。けれども深入りしたことはない。という難しい距離間だった。

別に、何か仲良くなりたくないという理由(なんとなく喋り方が嫌だとか、性格が合わないとか)があるわけではなく、ただ、本質的に仲良くなる機会を逃し続けてきただけだ。

同窓会の報せにしてはまだ早い気がする、何しろまだ大学に入って3か月程度だ。

とはいえ、生活が落ち着いてきた実感は出てきているし、状況報告をみんなでするというのも、有りなのかもしれない。

いろいろなことを考えながら、奈々未は肝心の静香からのメッセージをまだ確認していないことに気づき、メッセージを開く。

『久しぶり、大学には慣れた? 私はそれなりかな。サークルにも入って元気にやってるよ。奈々未の話も聞きたいな。近々、ふたりで会えない?』

当たり障りのない、現状報告。けれども、奈々未は少し違和感を覚えた。

まず、これまで静香とは二人きりで親密に話をした経験は一切ない。にも関わらず、会いたいって言ってくるなんて、ちょっと変だ。

仲の良い子なら、他にも、もっといるはずなのに。

とはいえ、断るのもそれはそれで角が立ちそうだ。高校時代に奈々未と静香が所属していたグループはそれなりに人数も多く、奈々未と同じ大学に進学した子も結構いる。

静香が「奈々未と会いたかったのに断られた」と吹聴しないとは限らない。(残念ながら、そうしないであろうという確信は抱けない)

環境が変わっても、若干面倒な人間関係にそこまで変化はないというのは、少しばかり酷なものだった。

まあ、とはいえ、本当に話をしたがっているだけかもしれない。そういえば、静香の進んだ大学は少し専門職が強いところで、同じ学校の人も数えるくらいしかいなかった。

グループの子たちは「知り合いが全然いないとこなんて無理すぎ」と言ってたけど、奈々未は、そうまでしても学びたいことがあって、なりたい職業があるのってちょっといいな。なんて思っていたのだ。

とりあえず奈々未も静香も都内暮らしではあるので、会う場所には困らない。

手早く『久しぶり、サークルいいね。あたしも入りたかったけど、いつの間にか新歓の期間も終わっちゃった。いつでも会えるから、また都合の良い日を教えて』と返信して、いよいよ大学に向かうことにした。

今日は1限~4限までしっかりと授業が詰まっているし、終わるころにはクタクタになってそうだ。

 

13:05

 

1限と2限の授業をしっかり受講し、奈々未は学生食堂に足を踏み入れた。

踏み入れた。なんて言うとなんとなくドラマティックな響きが発生するが、実際は普通にテクテクと歩いて、やってきただけだ。

450円の和定食の食券を購入し、(日替わりメニューで、今日はカツ丼とミニうどんのセットだった)知り合いでもいないかと食堂中を眺める。

誰もいなければひとりで音楽でも聴きながら、食べるだけだ。

ちょうど、高校の時に同じグループだった明日香がひとりでいるのを見つけたので、相席することにした。

明日香は、正直、すっごく可愛い。

黒髪ロングのストレートは腰まであるのに全然傷んでなくて、サラサラだし、顔立ちだって芸能人の誰かに似てるってみんな言ってた。誰だったかは忘れちゃったけど。

そして何よりも奈々未が明日香のことを良いと思うのは、自分の意見をしっかり持っていることだ。

グループのみんながノリでやっちゃうような悪ふざけにも、はっきりと自分はやらないって口に出すし、みんなが変だって悪口を言うような人のことも、違う視点から見てしっかり褒めたりする。(本当にロクでもない人のことはさすがに褒めないけど)

でも、それができるのもみんなから「この子は見た目も良いし、性格もハッキリしてる、嫌われたら損だ」って思われてるからかもしれない。

とにかく、周りが過剰に恐れてるかんじはあるかも。

そんなことを考えながら明日香の前の席に腰を下ろしながら、今日の朝のことを話してみる。

「そういえば、静香から久しぶりに連絡があったよ」

「へえ、あの子と奈々未って意外と仲良かったんだ?」

「いや、そうでもないと思うんだけど、なんかふたりきりで近況報告がしたいんだってさ」

それを聞いた明日香はちょっと難しそうな顔をして、宙を睨みだした。

「ど、どうしたの?」

「ああ…いや、私的に静香はそんな風に気軽に人を誘ったりするタイプじゃなかったように思えてさ。なんか違和感あるよ」

「あたしもそれは思った。でも、大学に入ってちょっと変わったとかじゃない?」

「それはありそうね。割と影響されやすい子だし」

「そうだっけ?」

奈々未の考える静香像はそこまで人の色に染まりやすいことはなく、ただ、みんなの中にぼんやりと存在しているだけだった。それが良いとか悪いとかはさておき、正直、いてもいなくても同じというか。

意外そうな顔の奈々未を見て、明日香は言葉を選ぶように発していく。

「影響されやすいっていうのとは、ちょっと違うかも。でも、人の話に無理して合わせるところはあったよ」

「知らないことでも、知ったかぶりをするってこと?」

「うーん、まあ、そんなかんじかな。でも、後からちゃんと調べてひと通りの知識はゲットするんだよ。」

「それなら、後からバレることもないね」

「ま、そうなんだけど。その場しのぎにならないように、めちゃくちゃ深く調べていくんだよね。気づけば周りの誰もがその話題を忘れてるのに、異常に詳しくなってたりもして」

「それは…なんかすごいかも」

大人しめの子だという静香の印象がどんどん変わってきつつあることに、奈々未は少し驚いていた。同時に、同じグループでいつも行動していたのに、そんなことにも気づけなかった自分は、あまり他人に興味を持たないタイプなのかしら?とも思った。

「それで…えーと、ごめん。なんの話だったっけ」

「静香からふたりで会いたいって言われたことだよ」

「ああ、そうだったね。まあ、十年ぶりの連絡ってわけでもないんだし、気負わずに会えばいいんじゃない?」

「うん、そうするつもり。まあ、違和感があるって言い出したのは明日香の方だけどね」

しかし、この言葉は正確ではない。違和感自体は連絡を受けた直後から、奈々未も強く覚えていたのだから。

ひとまず、3限の授業時間も近づいているということで、奈々未と明日香は残っていた定食を平らげて、それぞれの講義室に向かうことにした。

講義室に向かう途中、静香からメッセージがあったが、奈々未は後で返信しようと思いスマートフォンをカバンにしまい込んだ。

 

16:30

 

今日も何事もなく、すべての授業が終わったことに奈々未は安堵した。

これから帰って、夕飯を作って、好きなテレビを見て、音楽を聴いて、ちょっとした家事をしたり、SNSを見たりして一日が終わる。

毎日同じことの繰り返しだと、どうしても単調な生活になってしまって、一日が過ぎるのが驚くほど速いけれども、社会に出るとそれすらも懐かしくなるんだろうな、なんてぼんやりと思ったりもする。

そこで、静香からのメッセージに返信していないことに気づいた。

急いで返信しないといけない類のものではないと思うけど、内容は確認しておかないといけないと思い、奈々未はLINEを開き、メッセージをチェックする。

『会うなら早い方がいいな。さっそくだけど、今晩はどう?』

いきなり今日の夜? さすがに急じゃないかな。と奈々未は率直にそう思ったのだが、今日の夜が空いているのも事実だった。

アルバイトも特にしていない奈々未にとって、授業が終わるのと同時に自由時間の始まりであり、そのことは仲の良い人たちなら誰が知っていた。

静香がそのことを知っているかは定かではなかったが、架空の用件をでっちあげて、それがバレた時の面倒くささを考えると、行くべきだろう。

(そもそも、警戒するようなことはないはずだしね)

奈々未は軽くそう考え、今日の夜でも良いと返信をしておいた。

すると、すぐさま『じゃあ、今日の18時に池袋の西武東口で待ち合わせしよ』と返信があり、奈々未は了解を意味するスタンプを送信した。

 

18:59

 

久々に会った静香は、驚くほど変わっていた。

いや、見た目がという意味ではなく、中身が。

どちらかといえば内向的な性格だったが、今は国際問題について考えるサークルに入っていると雄弁に語り、世の中の色々な問題を解決してみたいと熱っぽく語った。

ひとまず、駅で待ち合わせてから、ファミリーレストランに入り、メニューを開きながら「どれも美味しそう」なんて互いに迷っているうちは良かった、そこには『久しぶりだけど、お互い元気で良かった』という親密な空気さえ、確かに存在していた。

そのまま食事をしながら、現在の暮らしぶりについての話(ひとり暮らしは気楽だけど、面倒だ。など。ふたりとも神奈川の実家を離れ、東京で暮らしているので、ある種のシンパシーを抱けた)をしていたのだが、食後のコーヒーを飲んでいると、おもむろに静香が、意を決したように話し出したのだ。

「奈々未ちゃんは、人種差別についてどう思う?」

どうもこうも言われても、奈々未はこれまで19年生きてきて、人種差別について深く考えたことなど、まるでない。

だが、静香の目は怖いくらいに真剣で、うかつなことは言えない雰囲気だったので、仕方なく知識を絞り出すことにした。

「あー、なんか最近Twitterで差別問題について言ってる人が多いけど、そういうこと?」

「そう、それ!差別って本当に恥ずかしいことだよね。人はみんな平等なのに、変にマウント取ったり、ひどい時は命を一方的に奪ったり」

そういえば最近、どこかの国で差別された挙句、殺されたという人の話題をよく見る。しかし、殺された方も何かしらの罪を犯していたという情報もあるようだし、奈々未は様々な情報が混在していることが、まず怖かった。

さらに言えば、何が正しいのかも分からない状況の中で、自分の信じるものだけを正しいと信じ、意見をする人たちのことも怖かったし、その人たちは押しなべて反対意見に対して容赦なく攻撃性を剥きだしにするのも怖かった。

だが、そんな奈々未の戸惑いに気づかないまま、静香は言葉を重ねていく。

「……それでね、今度私のサークルで人種差別反対のデモをやるんだけど、奈々未ちゃんにも参加して欲しいなって思うんだ」

「え……あたしが?」

「うん、奈々未ちゃんなら、きっと分かってくれると思うし」

あたしに、なにが理解できると言うのだろう?奈々未は心の底から不思議に思った。

遠い国で差別の結果として、人が亡くなったのは悲しいことだと思うけど、それはあくまでも他の国の話じゃないか。

これまで奈々未は生きていて「ああ、日本と言う国は人種差別が激しい国だなあ」なんていうことは、一度だって思ったことがないし、自分がそうなら、他の大勢の人もそうだろう。

そんな人たちに向けて、デモを行って、なんの意味があるんだろう?

「えっと……あたしはいいかな。人種差別とかに詳しいわけでもないし」

「何言ってるの、詳しくないからこそ、参加することに意義があるんじゃない」

静香は、聞き分けの悪い幼子を言い含めるように、優しい声色でそう語りかけてきて、それがなんとなく、奈々未は嫌だった。

「人種差別が悪いことなのは、奈々未ちゃんにもわかるよね? 問題なのは、日本では人種差別なんて大きな問題になってないし、外国で起こったことに対して、日本でデモなんかしてどうするんだって思ってるような人たちなの」

まさにあたしのことだし、尚更、自分が参加すべきデモじゃないと奈々未は確信した。

「そう思ってる人がいても仕方ないと、あたしは思うんだけど、その人たちの何が問題なの」

「そういう人たちほど、無意識に人種差別をしているんだから、意識を変えてもらわないといけないのよ」

「そういうデモで、本当に変わるかな?」

おそらく、無意味だろう。そもそも、本当に人種差別主義者からすれば、デモくらいで心動かされるなら最初から人種差別なんてしないだろうし、無関心な人たちにとっては、ただ目障りなだけの行進に映るはずだ。

「変わってくれるまで、何回だってやり続けることが大事なんだって。私もサークルの先輩にそう教わってきたもの」

なるほど、静香は今、こういう活動にのめりこんでいるのか。と、奈々未は思い当たった。

今日の昼に明日香が「静香は異常なくらいのめりこむ」という話をしていたし、そこは腑に落ちた。問題は、静香が自分の正義を少しも疑っていないところだ。

そういえば以前授業で『間違いを正してあげるという行為は脳内からドーパミンが出て、快楽が得られる』なんて聞いたけど、今の静香はまさにそれだ。

間違いをしているものが悪であり、それを正そうとしている自分は絶対的に正義なのだろう。

奈々未はもうこれ以上深く関りたくはなかったが、次々と言葉を紡ぐ静香の顔は生き生きとしており、ある意味ではとても幸せそうに見えた。

他者の不幸を救うことに、幸せを感じるなんて、どこまでも歪なようにしか思えなかった。

ひとまず、この日は明日提出の課題があると言ってなんとか話を終わらせて、ようやく帰宅できたのは22時過ぎだった。

 

手早く入浴を済ませ、ベッドに潜り込んだ奈々未は今日の静香の言葉と、生き生きとした表情を思い出す。

そして、人の不幸に生きがいを見いだすのは勝手だけど、できればあたしのことは巻き込まないで欲しいなあ。と思いながら、眠りにつくのであった。